前稿で、関東軍は逃げたと述べたが、それは当時の開拓民を中心とした一般人が蒙った厄災の数々に怒りを禁じ得ないからであり、その災難をもたらしたソ連(≒スターリン)ともう一方の関東軍に、その責を償うべきだと声を大にして叫びたいからに他ならない。 少し長くなり恐縮だが、以下にその顛末を述べさせて頂く。 「…好は、私に母の飯盒を洗いよく乾かすようにと言った。『それがお母様の骨壺よ。』時計が9時を鳴らすと、私たちは荷物を背負って火葬場へ向かった。到着するとすぐに羅南からずっと持ってきた箸で、私たちは丁寧に母の小さな遺骨を飯盒に入れた。…」(「竹林はるか遠く」より引用) 飯盒を母親の骨壺にしなくてはならな …
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