全日本作法会で20年以上、作法に携わり、企業や大学にてマナー研修を実施している筆者が送る日本の礼儀・作法に関するチャンネル。 一口に礼儀・作法といってもそこに隠されている、込められている日本の心、文化について発信していきます。
七月七日は七夕(たなばた・しちせき)の節供です。七夕を「たなばた」と読むのはなぜでしょう。 七月七日、七夕の節供も古代中国から入ってきた慣習と、古来より日本にあった慣習が混ざり合わせられています。まず、古代中国の「星姫伝説」からご紹介しましょう。 天の川の西岸に美しい、機織りの名手である天帝の娘、織女(織姫)が住んでいました。 一方、東岸には、とてもよく働く牛使いの牽牛(彦星)が住んでおり、その働きぶりを見て、天帝は二人を結婚させました。織姫と彦星は一緒に生活するようになると、とても仲睦まじい夫婦になりました。しかし、毎日一緒に過ごして、それぞれの仕事をしなくなったのです。天帝はお怒りに …
令和四年の夏至は六月二十一日です。「夏至」とは二十四節気(一年を春夏秋冬の四つの季節に分け、それぞれをまた6つに分けたもの。立春が第1になる)の第10にあたります。北半球では、この日が一年の中で最も昼(日の出から日の入りまで)が長くなります。太陽黄経が90度のときで、天文学ではその瞬間を夏至とします。それを含む日を夏至日と云っており、冬至から半年後(182.62日)です。ただし、1年で日の出が最も早い日、日の入りが最も遅い日と夏至の日は一致しません。日本において、日の出が最も早い日は、夏至の1週間前であり、日の入りが最も遅い日は夏至の1週間後となります。 北欧では太陽の力が強くなる日でもあ …
明治三年(1870年)日本で初めての靴工場「伊勢勝造靴場」が開業されました。当時、軍用の靴が日本にはなく海外のものを輸入していました。しかし、日本人の足には合わず、軍人が商人に靴の生産を命じたことで、日本人に合わせた靴が製造されることになったのです。 現代では靴が一般的ですが、日本においての靴の歴史は浅いのです。しかし、古代に靴のような履物がなかったということではなさそうです。 日本には弥生時代(約2300年前)から履物があったとされています。ただ、庶民は長い時代裸足で過ごしていたようですし、履物は一定以上の身分の人が使用していたと思われます。 奈良時代から平安時代、公家が使用していた履 …
今の時代、五月と云えば、新緑が美しく風も爽やかで、一年の中でも最も気持ち良い月です。五月は別名「さつき」とも云われています。旧暦で五月は新暦の六月頃。そう、梅雨の時期となります。 「さつき」というのは、田植えの時期という意味です。「さ」は田の神を表すと伝えられてきました。「五月晴れ」は梅雨の合間の晴天日を、「五月雨(さみだれ)」は梅雨の別名でもあります。 雨の多い日本には多くの「雨(あめ)」があります。雨の名前がたくさんあるのです。「雨(あめ)」の語源は古事記の最初に出てくる「天地(あめつち)開けしとき」の「天(あめ)」、または「天水(あまみず)」ではないかと伝えられています。いずれにして …
五月五日といえば、端午の節供です。そのことは広く知られています。端午の節供は、五節供の三番目。五節供とは、1月7日人日の節供、3月3日上巳の節供、5月5日端午の節供、7月7日七夕、9月9日重陽の節供です。古代中国から伝わった慣習と、もともと日本にあった習俗が合わさり、今に至ります。五節供として正式に制定されたのは江戸時代であり、明治になり改暦されてからは、季節が合致しないので廃止されています。 さて、端午の節供ですが、端午というのは「最初の午の日」という意味があります。古代中国の暦では、十二支の寅から一月が始まり、五月は午の月となります。「端」は始まりという意味があり、「端午」とは五月の最初 …