遠慮のかたまり
以前、日本語教師の諸先輩方と一緒にお酒を飲む機会がありました。京都でのことです。
2時間くらい飲んだでしょうか。教育現場のこぼれ話をつまみにジョッキを傾けていると、誰かが「あ、遠慮のかたまりや」と呟きました。
その言葉を聞いた先輩方は、大皿を見ながら「ほんまや」と言っていますが、私には何のことか分かりません。
大皿には唐揚げが一つ、ちょこんと残っています。 「若いんやから、食べり」 と促され、唐揚げは私の胃袋に収まりました。
「〝遠慮のかたまり〟って〝ラスイチ〟の方言とかですか?」 分からないことは何でも聞いてみる、が私のスタンスです。
「えっ、方言なん?」 「みんな同じやろ」 「うちの嫁、〝いっちょ残し〟言うとるで~」
(この日は唐揚げがキッカケで方言論へと発展したのですが、その話はまた別の機会に…)
さて、読者の方々はもうお分かりでしょうか。
みんなで食事をしていて、最後に1つだけお皿に食べ物が残った状況のことを、関西では「遠慮のかたまり」と言います。
「かたまり」という言葉は、「嘘の~ / 欲の~」といった悪いイメージで使われがちですが、ここでは控えめな行いを指す「遠慮」に使われていますね。
この「遠慮のかたまり」ですが、「関東の一つ残し」、「肥後のいっちょ残し」、「信州人のひとくち残し」といった具合に、呼び方には地域差があるようです。
しかし言葉は違えど、同じ意味を表す方言が各地に存在する背景には何があるのでしょうか。
関西では 「〝遠慮のかたまり〟どうぞ」 と、お皿に残った食べ物を勧めたり、 「〝遠慮のかたまり〟いただきます」 と、箸を伸ばす光景を見ることが多いですが、なぜ残っていることをわざわざ口に出して表現するのでしょうか?
一説によると、「残りものを遠慮の象徴だと捉え、あえて言葉にすることで、食べる人の罪悪感を和らげる効果が期待できる」とされています。
また、そこには「最後の一つだと認識している」と周囲に示し、和を重んじる日本人特有の性質が垣間見えます。
「遠慮のかたまり」の後ろには、さりげない他者への配慮が隠されていました。
〈さらに深く!〉
ここでタバコを吸うのはご遠慮ください。
このような表示は、街でよく見かけますね。この「ご遠慮ください」という表現は、「○○しないでください」という意味で使われています。
もともと、「遠慮する」とは「人の気持ちを考えて、自分で判断する」ということであり、相手に対して「遠慮してください」と依頼するのは間違いのように聞こえます。しかし、「○○しないでください / してはいけません」という言い方には、はっきりと禁止の意味があるのに対して、「ご遠慮ください」は、相手に判断を求めているニュアンスがあります。
このため、一方的な禁止よりもやわらかく伝えることができ、大勢の人に何かを伝えるときや、店がお客さんに何か注意をうながすときなどには、「ご遠慮ください」の使用が好まれるのです。
「遠慮」は、相手に気をつかう日本人の感性がよく表れた言葉と言えるでしょう。
次回(第6回)は、「ごちそう」について記していきます。