だから、日本語は面白い

元・日本語教師で、難関の日本語教育能力検定試験を一発合格した筆者が、
渡航先や外国人妻との生活の中で改めて発見した、日本語の難しさや面白さ。
毎回一つの言葉を取り上げ、その意味や用法、日本人の感性などに触れていきます。

【第2回】日本語教育の現場

 日本語学校で教壇に立つ際、たとえば「遠慮」とはどんな意味か、という質問が出たとします。それをどう説明するか?
 直接法(日本語で日本語を教える)で授業を行うにあたり、語彙をコントロールし、相手のレベルに合わせた日本語で説明することが基本であり、そのため各教師の力量が問われるところです。 

 あなたなら、どう説明しますか? とても一言で言い表すことができない意味が内包されているはずです。

 たまたまお互いに英単語を知っていて、これは「refrain from ~」と説明できれば済むのでしょうか?
 私の妻はカンボジア人なのですが、母語であるクメール語には「遠慮」の語彙がありません。一番近い表現である「អត់អី​ទេ​អរគុណ​ហើយ(結構です)」と言えば伝わるでしょうか? 
 あるいは日本語で「私は相手のことを考えます。そして何かをしないことです」と説明して、理解は得られるのでしょうか?

 日本語教師の日常は悩ましい自問自答の連続だと言っていいでしょう。相手のレベルによって説明の仕方が変わるのはもちろん、この「遠慮」をはじめとして「律儀」、「本音と建前」、「言わずもがな」など、なかなか一言では説明することが難しい言葉に出会うたび、いつも歯がゆく思ってきました。それらの言葉の全体像を瞬時に過不足なく伝えることができず、日本語教師としての未熟さを痛感させられます。

 一人の日本人として、その言葉のイメージや背景にある感性などを何とか伝えられないかとの思いを抱きながらの海外生活。妻や周囲の人たちとコミュニケーションを深める中で、普段何気なく使っている言葉の背景には、あるものが隠されていることに気づかされました。それは〝文化の根〟のようなもので、広く、深く張り巡らされています。

 次回(第3回)からは、私なりに見えてきた日本人の感性に関わる言葉を、意味、用例などに着目してお送りします。

だから、日本語は面白い 
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