―維新十傑(2)― ・大久保利通(薩摩藩士 号:甲東) 御小姓(おこしょう)与(ぐみ)琉球館付役の大久保次右衛門利(とし)世(よ)の長男として、天保元年(皇紀2490年 西暦1830年)8月10日に鹿児島城下の下加治屋町で初めて産湯を使ったとされ、前稿で述べた西郷隆盛も同じ地で呱々の聲を放ったとされており、文字通り「竹馬の友」として少年期を過ごした。 「維新十傑」の中でも、木戸孝允を加え「維新の三傑」と呼ばれた両雄が僅かに一二町を隔てた町内で、嬉遊を重ねたことは奇縁と言う他ない。 「お由良騒動」で父が遠島を命じられたこともあり、最下層の家臣団に属していた大久保家の家計は貧窮を極め、現存する「 …
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