【先ず冒頭で、本稿その1の5行目、「五摂家(近衛・苦情・高塚・二条・一条)」の記述が間違っておりましたので、訂正してお詫び申し上げます。正しくは、「五摂家(近衛・九条・鷹司・二条・一条)」です。】 少年期から青年期にかけての運命の連鎖が、近衛公自身をして『社会に対してひがみの多い、憂鬱な青年』と評した人間像を形成していったであろうことは既に述べましたが、一方で人格形成同様にご本人の思いや努力とは無縁の処で「時代の寵児」としても運命付けられ、長身(五尺九寸余)・風貌も相まって「鶏群の一鶴」との趣きをもって人心を得た活躍が二十台後半から顕著になっていった。 大正7年11月3日夜、「英米本位の民主主 …
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