モンゴルの風

「相異・相似」-蒼き狼-

オオカミ①  私は約5年前からモンゴル国を行き来し、現在はモンゴル国で化粧品販売の小さな会社を経営し、年に十数回は訪問している。私が約5年前の夏に初めてモンゴル国を訪れた時から、いろいろな面で日本との違和を感じ、その事柄 …

オオカミ①

 私は約5年前からモンゴル国を行き来し、現在はモンゴル国で化粧品販売の小さな会社を経営し、年に十数回は訪問している。私が約5年前の夏に初めてモンゴル国を訪れた時から、いろいろな面で日本との違和を感じ、その事柄から学んだことを、このロンダンの中で再考して伝えていくことで、読者の方々と私自身が日本とモンゴルを含む世界をあらためて見つめ直すことができればと考えている。

 モンゴル国という国から日本人がイメージするのは、相撲力士、草原、チンギス ハーン、乗馬など様々であろう。浅野忠信氏がチンギス ハーンを演じた「モンゴル」という映画を思い出す方もあるだろうし、北方謙三氏が著した「チンギス記」を読んだ方もおられるだろう。そして私の世代(著者は1963年生まれ)以上では、司馬遼太郎著の「街道をゆく」第5巻「モンゴル紀行」や井上靖著の「蒼き狼」を読み、壮大な大自然の情景や躍動する登場人物に感動を覚えた経験がある方もおられるであろう。

 すでにご存知の方も多いとは思うが,蒼き狼(ボルテ・チノ)は伝説上のモンゴル族(モンゴル人といわずモンゴル族という理由は、コラムの中でいつか記述する)の始祖であり、その後裔がモンゴル帝国の初代皇帝テムジン(チンギス ハーン)であるといわれている。狼が人間の始祖であるという、このような非科学的な伝説は世界中にあることなので特筆すべきことではないが、なぜモンゴル族の始祖が狼なのかという点に私は注目する。

 モンゴル族は遊牧という生活を長きにわたり続け、守り、文化を築き上げてきた遊牧民である。遊牧する家畜の餌となる草原を求めて、また、極寒から家畜たちを守るために風を避けられる岩陰にと、ゲルと呼ばれる移動式の住居と共に移動する生活を近代までモンゴル族は続けてきた。当然、狼は家畜(財産)を奪い去る存在で、現在もモンゴルの草原で遊牧生活をする人々は、狼を恐れ、敵対視している。なのに、その狼をモンゴル族は自民族の始祖としているのである。

 一方、日本人にとってオオカミとはどのような存在だったのだろうか?今やニホンオオカミは絶滅したといわれているが、日本人にとってのオオカミも畏怖の対象であり、どこか神秘に満ちた存在である。オオカミの語源を辿ると、それは「大神」であり、山の神としての存在として「オオカミ」と呼ばれたとある。遊牧民とは対象的な農耕民族である日本人においてもオオカミは「大神」なのである。遊牧民のモンゴル族にとっても農耕民の日本人にとってもオオカミは特別な存在として意識されている。

 私が大神という字面から思い浮かべるのは「大神神社(おおみわ神社)」である。奈良県の地元の人々から「みわさん」と呼ばれ親しまれている神社で、大物主大神が鎮まる三輪山を御神体とした古代信仰の形態を持っている。大神神社は本来、神殿を持たず直接御神体である三輪山に祈りを捧げるという原初の神祭りの形態から、日本で最古の神社とされている。大神神社を字面からオオカミ(狼)神社と見たとき、モンゴルでのポルテ・チノとどこか似ていると感じざるを得ないのである。

 次に、日本人やモンゴル人という範囲を超えて、オオカミとは人類にとってどのような存在であったのかを考えてみたい。

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