カリスマ家庭教師の現場中継

子育て・教育論(読み聞かせ編)

こんにちは、たまき哲ろう です。 親にしろ教師にしろ、子供たちの成長を願っているからこそ、その教育についてどのようにすればよいかを議論するわけですが、子供たちにとって最適の教育を考える際に忘れてはならないのは、「社会環境 …

こんにちは、たまき哲ろう です。

親にしろ教師にしろ、子供たちの成長を願っているからこそ、その教育についてどのようにすればよいかを議論するわけですが、子供たちにとって最適の教育を考える際に忘れてはならないのは、「社会環境がどのようになっているか」という視点です。

「そんなことは当たり前だ」とおっしゃるかもしれませんが、教育の議論をすると、この視点が抜けていることが往々にしてあるのです。例えば「国語力を上げるには何が必要か」というテーマがあったとします。これに対して「読書が大切だ」とか、「漢字の読み書きが大切だ」とか理想論ばかりを飛びかわしていても、それが「社会環境として実行が難しい」ものであれば、絵に描いた餅でしかありません。

もう少し掘り下げましょう。仮に「国語力を上げるために読書が大切だ」として、次に「読書をする子供になるには何が必要か」という議論が始まります。すると「幼少期の読み聞かせが有効だ」となります。この結論自体を否定するつもりはありませんが、それだけが書かれている教育本、教育ブログなどがあまりにも多すぎます。多すぎるというより、ほとんどです。

問題は「いつ、誰が、どのように読み聞かせをするか」です。親子三代が1つ屋根の下で暮らす「サザエさん」のような拡大家族は減り、現在はそのほとんどが核家族です。その核家族も、専業主婦はほとんどいなくなり、ワタベウェディングのインターネット調査によると、20代から50代の共働き世帯は92.5%に上ります。このような社会環境で

「国語力を上げるために読書が大切だ」

「読書をする子供になるには幼少期の読み聞かせが有効だ」

と言われて、どれだけの方が実行できるでしょうか。

なかなか起きない子供がようやく起きて、登園・登校時刻に間に合わせるために慌ただしく始まる朝。日中はバリバリ仕事をして、その帰りに子供のお迎え。買い物をして、夕食を作り、洗濯をして、子供をお風呂に入れ、ようやく就寝の時間が来る。そこで「さあ、読み聞かせをするぞ!」と、どれだけの方がワクワク感を持って臨めるでしょうか。子供は敏感です。嫌々読み聞かせをすれば、すぐに伝わります。そっぽを向くか、面倒くさいので寝ます。そこで「私がこんなに大変な中、読み聞かせをしてあげているのに、何で真面目に聞かないの!」という態度をとれば状況は更に悪化し、二度と読み聞かせが行われることはなくなります。

こうして、「読書をする子供」になるどころか、読書が大嫌いな子供が誕生するのです。 続きは次回。

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