お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史35】近世城郭の最盛期「慶長の築城ラッシュ」

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いは、豊臣秀吉の亡き後に、徳川家康が率いる東軍と石田三成が率いる西軍が争った天下分け目の大規模な合戦です。勝利した家康は、戦後処理として大名たちの大規模な配置換えを行います。西軍に属した大名から領地を奪い、家康に味方した東軍の大名は石高を大幅に加増して新しい領地を与えるという戦後処理を敢行したのです。(戦後処理について詳しくは、過去記事「関ヶ原の戦いに込めた家康の戦略と大名たちの城づくり」をご覧ください) 関ヶ原の戦いで大活躍したのは、家康に古くから仕える「譜代大名」ではなく、奇しくも家康方に寝返りをした「外様大名」でした。これは一大事です。家康が征夷大将軍とな …

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