お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

天下普請に込めた家康の戦略

関ヶ原の戦いのあと「慶長の築城ラッシュ」と呼ばれるほど盛んだった大名たちの城づくりに対し、家康はどのような城づくりをしたのでしょうか。 家康、つまり徳川幕府が行なった城づくりは「天下普請(てんかぶしん)」でした。天下普請とは、幕府が全国の大名たちを動員して行なった土木工事のことです。 天下をほぼ掌握した慶長6年(1601)、膳所城(滋賀県)の築城を皮切りに、伏見城・二条城(ともに京都府)・福井城(福井県)・篠山城(兵庫県)と、天下普請によって京都や大坂(明治より前の時代、大阪は「大坂」と記しました)を取り囲むように、続々と城を築き上げました。この築城には、大坂城の豊臣家を封じ込める包囲網という …

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