『ヨーロッパの掃き溜め』と酷評された横浜の外国人社会で、『異人どもが行列に乱入致しましたので、供の者が成敗いたしております』と、駕籠の中の島津三郎(久光)に近習番であった松方助左衛門(正義)が報告を行ったのは、文久2年(皇紀2522年 西暦1862年)8月21日の午後2時過ぎのことであった。 教科書にも登場する「生麦事件」だが、前々稿でお伝えした「東禅寺事件」などの攘夷思想を根底にした外国人殺傷事件とは異なり、一見偶発的であるように見えるが、外国貿易で幕府のみが利益を得ていたことに対する不満も久光の根底にはあったと言われている。 前日の20日には神奈川奉行から、「明日、島津三郎の行列が、 …
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