お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

三英傑の城づくり② 豊臣秀吉の城郭戦略

三英傑の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康。彼らの性格の違いを表現した「ホトトギスの句」のように、3人の城づくりは三者三様の戦略の違いがあって、とても興味深いものがあります。今回は豊臣秀吉の城郭戦略についてご紹介します。 「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」と詠んだ秀吉は、どんな人物だったのでしょう。秀吉の父は下級の武士だったとも言われますが、幼少時は農民同様の生活をしていたようです。もしかすると秀吉は、信長の兵農分離政策の中で農民から専任の兵士になった一人だったかもしれません。 身内も家臣も少ない秀吉にとって、自身の親類縁者だけでなく、妻・ねねの遠縁の者たちまでもが大切な「人財」でした。遠 …

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