お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史31】信長が欲した日本一の境地・大坂

旧暦6月2日は、織田信長の命日です。天正10年(1582)6月2日、本能寺に滞在する信長は、家臣の明智光秀の謀反によって襲撃されました。かの有名な「本能寺の変」です。近世城郭のはじまりとされる安土城の荘厳な天主は、本能寺の変から約2週間後に炎上、焼失します。天主の完成からわずか3年の出来事でした。時代の革命児・信長の、天下統一と城郭戦略はここで幕を閉じるのです。 城の歴史において、信長の先見性は目を見張るものがあります。父・信忠の居城移転を継承した信長は、天下を手中に収めるべく、那古野城→清州城→小牧山城→岐阜城→安土城と居城を移動させながら、革新的な城づくりを進めてきました。 その信長が「日 …

この続きは、ロンダンを定期購読頂くことで閲覧が可能です。

価格:月額1100円(税込)

ログインして閲覧する

お城カタリストの城語り 
過去記事一覧

テキストのコピーはできません。