お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史16】鎌倉幕府の終焉と南北朝の動乱

元寇以降、鎌倉幕府の支配力が弱まる一方で、天皇中心の政治の復活を目指した第96代・後醍醐天皇は、「正中の変」「元弘の変」の2度にわたる討幕計画を企てます。 後醍醐天皇は、400年以上前の平安時代に第60代・醍醐天皇が、摂政や関白を置かずに天皇親政の政治を行った「延喜の治」のように、天皇自らが主導して政治を行おうと考えました。後醍醐という名前も、醍醐天皇にあやかり後醍醐天皇自身が生前から名乗っていたといいます。 14世紀になると、西国では「悪党」と呼ばれる勢力が力を持ち、拡大するようになります。(悪党については次回詳しくご紹介します。)その悪党勢力の統率者といわれる楠木正成(くすのきまさしげ)を …

この続きは、ロンダンを定期購読頂くことで閲覧が可能です。

価格:月額1100円(税込)

ログインして閲覧する

お城カタリストの城語り 
過去記事一覧

テキストのコピーはできません。