鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝が亡くなると、有力な御家人たちは将軍の持ついくつもの権限を制限し、さらに有力御家人による「十三人の合議制」によって政治や裁判を行う体制をとりました。その中心は、頼朝の妻・政子の父である北条時政であり、時政以降の北条氏は「執権(しっけん)」として幕府の実権を握ってゆきます。 13世紀後半、鎌倉時代中期の北条時宗が執権だった時代に、モンゴル(蒙古(もうこ))帝国の皇帝となったチンギス=ハンの孫・フビライは国号を元(げん)と改め、日本に侵攻します。これが「蒙古襲来(元寇(げんこう)ともいう)」です。 フビライは、突然日本を襲った訳ではありません。元は事前に、複数にわたり国書 …
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