治承4年(1180)、平清盛(たいらのきよもり)の専制に不満を抱いた後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)は、平氏追討の令旨を発して源頼政(よりまさ)とともに挙兵しました。これに呼応する形で伊豆の源頼朝や信濃の木曽義仲(きそよしなか)をはじめ平氏に反発する武士団が次々と挙兵し、以後、5年にわたる源平の争乱(治承・寿永の乱)がはじまります。 この間に頼朝は、父・義朝(よしとも)の根拠地である鎌倉に幕府の基礎を築き、朝廷との折衝では東国支配権を認めさせました。また、安徳天皇を奉じて西走する平氏の追撃と並行して各地に東国武士団を配置し、平氏が壇ノ浦の戦いで滅亡した文治元年(1185)には、ほぼ全国 …
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