お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史13】なぜ源頼朝は征夷大将軍を望んだのか

治承4年(1180)、平清盛(たいらのきよもり)の専制に不満を抱いた後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)は、平氏追討の令旨を発して源頼政(よりまさ)とともに挙兵しました。これに呼応する形で伊豆の源頼朝や信濃の木曽義仲(きそよしなか)をはじめ平氏に反発する武士団が次々と挙兵し、以後、5年にわたる源平の争乱(治承・寿永の乱)がはじまります。 この間に頼朝は、父・義朝(よしとも)の根拠地である鎌倉に幕府の基礎を築き、朝廷との折衝では東国支配権を認めさせました。また、安徳天皇を奉じて西走する平氏の追撃と並行して各地に東国武士団を配置し、平氏が壇ノ浦の戦いで滅亡した文治元年(1185)には、ほぼ全国 …

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