源平の争乱を経て「武士の棟梁」となった源頼朝(みなもとのよりとも)は、鎌倉に幕府を開きました。なぜ頼朝は清和源氏や河内源氏の本拠地であった関西ではなく、鎌倉の地を幕府の拠点としたのでしょうか。 まず、源氏が東国へ拠点を移した経緯をご紹介しましょう。歴史は、平安時代にさかのぼります。「この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ時代の寵児・藤原道長(ふじわらのみちなが)がこの世を去った翌年の長元元年(1028)に、房総半島(現・千葉県)で「平忠常の乱(たいらのただつねのらん)」が起こりました。 この乱を鎮めるために平氏の武士が派遣されていましたが失敗したために、 …
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