「文禄・慶長の役」をご存知ですか。それは、天下統一を果たした秀吉が大陸進出を企てて、文禄元年(1592)と慶長2年(1597)に行った朝鮮半島への出兵のことです。この戦いでは、西国大名を中心に全国の100を超える大名が召集されました。 全国の大名たちが勢揃いするとは、当時では前代未聞のことです。私はこの朝鮮出兵が、石垣づくりの城を全国に普及し、定着させた最大のきっかけだと思います。なぜそう思うのか、順を追ってご紹介しましょう。 朝鮮出兵の本拠地として九州の北端につくられたのが「名護屋城(なごやじょう・佐賀県唐津市)」です。戦さに備えるためにつくられた城を「陣城(じんじろ)」と呼びます。仮の城で …
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