お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

日本の城 現存天守の楽しみ方

世界遺産の姫路城や天空の城として話題の竹田城など、日本にはたくさんの城があります。 城は観光地として定着していますので、日本人なら一度は、遠足や旅行で訪れたことがあるでしょう。 城は、軍事的な目的でつくられた防御施設です …

現存天守の松江城(島根県)

世界遺産の姫路城や天空の城として話題の竹田城など、日本にはたくさんの城があります。
城は観光地として定着していますので、日本人なら一度は、遠足や旅行で訪れたことがあるでしょう。

城は、軍事的な目的でつくられた防御施設です。そのため、つくられた時代背景や築城者の違い、気候や地形など様々な要因によって多種多様なつくりをしています。
ふたつとして同じものがないのが、城の奥深さです。
また、軍事的構造物でありながら、神社仏閣と並ぶ美しさを兼ね備えているという魅力もあります。

「日本の城」というと、石垣の上に高くそびえる「天守」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか? 

天守のはじまりは、織田信長が築いた安土城(滋賀県)の天主と言われています。安土城に限り「てんしゅ」は「天主」と表記されます。
それまでの城にも、井楼(せいろう)という物見櫓のような高層建築物は存在していました。
けれど、城内の一等地に石垣を高く積み上げ、井楼と居館を組み合わせるという天守の構造はありませんでした。

信長は、自身の居住施設として天主をつくりましたが、信長以降は天守を住まいにすることはありませんでした。
城主は天守ではなく、「御殿」と呼ばれる居館を別につくり、生活の場とします。
人が住むことがなくても、立派な天守は数多くつくられました。

そんな「豪華絢爛な空き家」の天守には、4つの機能がありました。
1つ目は、城内外の監視のための、物見櫓としての役割です。
2つ目は、最終の防御設備としての機能。つまり、最後の砦・籠城場所としての働きです。
江戸時代初期につくられた天守の中には、籠城戦に備えて台所やトイレ、井戸などを備えたものがあります。
3つ目は、武器や食料・資金の備蓄場所としての倉庫的な役割です。
そして4つ目は、権威の象徴。戦国の世から平和な時代になるにつれ、その機能は変化し、天守は城のシンボルとして、権威の象徴として継承されたのです。

そして現在、江戸時代以前からの姿で残る天守は、全国に12城あります。
この12の城は、弘前城(青森県弘前市)・松本城(長野県松本市)・丸岡城(福井県坂井市)・犬山城(愛知県犬山市)・彦根城(滋賀県彦根市)・姫路城(兵庫県姫路市)・備中松山城(岡山県高梁市)・松江城(島根県松江市)・丸亀城(香川県丸亀市)・松山城(愛媛県松山市)・宇和島城(愛媛県宇和島市)・高知城(高知県高知市)です。
この12の天守を「現存12天守」と言います。

丸亀城(香川県)の階段

現存天守の面白さは、築城当時の城づくりの意図やセキュリティを知ることができる点です。
今回は、「階段のつくり」に注目してみましょう。
階段は、上階と下階をつなぐ昇降に便利な設備ですが、天守の階段は勾配がとても急で、上りづらいつくりになっています。

地上6階・地下1階の姫路城大天守には、100段以上の階段が設けられています。
その中でも特に3階と5階の階段は、50度以上の急な勾配のつくりです。
また、急勾配だけでなく、上階に行くほどに幅が狭くなる階段は、大勢の敵兵たちが攻め込みにくいように工夫されています。

現存12天守の中で、いちばんの急勾配の階段がある城は、「現存天守では最古の建築様式を持つ」と言われる北陸の丸岡城です。2重3階の小ぶりな天守だからでしょうか。
階段のつくりを利用して、攻め上りにくい工夫が施されています。
丸岡城の階段の傾斜は、約65度。現在の階段には手すりとロープが設置されていますが、それでも、はしごを上るような緊張感があります。
蹴上げ(一段あたりの段差)も30cm近くあり、平均身長が157cmだったこの時代の男たちにとっては、かなりの苦戦を強いられたことでしょう。

階段の勾配を急にするだけでなく、敵が上階へ上れないよう、階段部分に戸を付けて蓋ができるようにしたり、引き戸を取り付けて防御している天守もあります。
例えば、姫路城大天守の場合は、跳ね上げるタイプの板戸が階段に取り付けてありますし、松江城の場合には、横に引くタイプの板戸が付けられています。

階段ひとつをとってみても、このような防御の工夫を仕掛けるのは、天守が最後の、最終の防御設備だからです。天守が落とされたら、すべては終わってしまうのです。
天守の構造が複雑なのは、城主が切腹する時間を稼ぐためだとも言われています。
江戸時代という泰平の世でも、火の車の藩の財政下であっても、城主たちが先代から受け継いだ天守を守り抜いたのは、武士の「最期の美」を貫く覚悟のためだと思うのです。

そのおかげで私たちは、12もの現存天守を、見て、触れて、時空を超えた空気感を体感することができます。
城を訪れた際には、細やかな防御の工夫と受け継がれた天守の美しさを、ぜひご自身の目でお確かめください。

お城カタリストの城語り 過去記事一覧

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