お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

天皇家のはじまりと日本の城のはじまり

2019年2月11日。建国記念の日のこの日から「ロンダン」はスタートします。建国記念の日は、日本の初代天皇が即位した日をもとに制定された国民の祝日です。初代天皇の神武天皇は、古事記や日本書記の記述によると、紀元前660年 …

松本城(長野県)

2019年2月11日。建国記念の日のこの日から「ロンダン」はスタートします。
建国記念の日は、日本の初代天皇が即位した日をもとに制定された国民の祝日です。初代天皇の神武天皇は、古事記や日本書記の記述によると、紀元前660年に即位したと推定されています。

つまり、今から2679年前の今日が、今上天皇まで続く天皇家のはじまりの日。そんな「天皇家のはじまり」に思いを馳せながら、「日本の城のはじまり」を考えてみましょう。

城のはじまりはいつでしょうか。
織田信長が安土城を築いたとき?
武士の棟梁の源頼朝が鎌倉幕府を開いたころ?
いえいえ。
城のはじまりは、弥生時代の「環濠集落(かんごうしゅうらく)」にさかのぼります。環濠集落で有名なものは、佐賀県の吉野ヶ里遺跡です。

吉野ヶ里遺跡(佐賀県)

環濠集落とは、ムラを取り囲むように、周囲に深い濠(ほり)をめぐらせた集落のこと。集落の周りにめぐらせた濠を、環濠と言います。環濠集落は、今から約2000年前の弥生時代中期から後期に数多くつくられました。吉野ヶ里遺跡では、環濠や竪穴式の住居だけでなく、見張りのための物見櫓も確認されています。一体なぜこの時代に、城の機能を持つ環濠集落が形成されたのでしょう。

そもそも城とは、敵からの攻撃や侵入を防ぐための軍事施設であり、食糧や武器・資金の備蓄場所であり、指揮官の住まいや生活の場であり、政治や情報の拠点となる場所です。ということはこの時代に、住まいや備蓄場所だけでなく、外部からの侵入を防御する軍事的な役割が必要だったと考えられます。

大阪府立弥生文化博物館/環濠集落の模型

弥生時代を想像するとき、まず頭に浮かぶのは、稲作文化でしょう。稲作というと、ムラの人々が協力し合い農業にいそしむ……そんな穏やかでのどかなイメージがありますが、実はその稲作文化の広がりによって、収穫物や耕作地の水利をめぐるムラ同士の争いが盛んになりました。福岡県の「スダレ遺跡」から出土した石剣の刺さった人骨からも、この時代に武器を使うほどの激しい争いがあったことを知ることができます。

弥生時代は、稲作によって安定した暮らしがもたらされた反面、人々が利権のために傷つけ合う争いの時代でもありました。このような争いからムラと収穫物である財産を守るために生まれた環濠集落が、城のはじまりと言われています。

弥生時代が、城のはじまりとは驚きです。身近な場所に、城のはじまりの環濠集落はないか探してみることにしましょう。

池上曽根遺跡(大阪府)

私の住む大阪府には、和泉市から泉大津市にかけて「池上曽根遺跡」という弥生時代中期の遺跡があります。この池上曽根遺跡。明治時代に地元の中学生が石の鏃(やじり)を発見したことがはじまりです。昭和になって繰り返された発掘調査によって、祭祀に使ったと思われる約80畳の広さの大型建物や、クスノキの大木をくりぬいた直径2mを超える井戸も発見されました。池上曽根史跡公園では、これらをはじめとする建物がいくつも復元されています。

池上曽根遺跡は、全周約1km・直径約330mのいびつな円形の環濠に囲まれていたそうで、公園の一角には環濠の一部が再現されています。この環濠が、城であった証拠です。環濠集落に行ったなら、復元された建物群だけでなく、環濠のつくりに注目してみましょう。

環濠のつくりは、弥生時代以降も城づくりの要として後世に引き継がれます。奈良県大和郡山市には、室町時代に形成されたと考えられている「稗田(ひえだ)環濠集落」があります。稗田環濠集落の環濠は、現在でも用水路として利用され、その環濠の内側には民家が立ち並び集落が形成されています。弥生時代に編み出された環濠の仕組みが人々に継承され、現在も活用されていると思うと感慨深いものがあります。

あなたの身近な場所にも、環濠集落があるかもしれません。「日本の城のはじまり」の遺跡に触れて、125代続く天皇家のように、2000年の時を超えて受け継がれながら今なお続く、城の奥深さを味わってみましょう。

お城カタリストの城語り 過去記事一覧

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

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