前稿で触れたように、「戊午の密勅」を契機として様々な事件が惹き起こされていったのだが、日本国内だけの勢力争い・権力争いに留まらず、外国からの「圧力」、有体に言えば「侵略」への抵抗・防衛本能が随所に顕れたのであり、現在の世相と同様に、「今だけ 金だけ 俺だけ」で由とする輩と、心底「国」憂える人々との間の「温度差」は、不幸にして既に顕在していた。 桜田門外の変は、令和2年11月17日脱稿の「桜田門外の変」で事件の概略を記したので詳細は割愛させて頂くが、何よりも原因となったであろうことは、将軍の統治能力が欠けてきて、天下の威信が失墜し、夷狄・外圧からの開国要求などが「戊午の密勅」へと繋がっていった …
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