「祖国根元在国史令明」

大東亜戦争(第二次世界大戦)から、日本が奪われ続けてきたもの。
このチャンネルでは筆者が現代の日本人に警鐘を鳴らすため、歴史に埋もれている事柄から読み取ることのできる諸外国の動向、
現代の日本人に必要なものとはについて発信していきます。

日本が失いかけているもの(その2)

我が国日本は?と云えば、1853(嘉永6)年の浦賀へのペリー来航が端緒として有名だが、その80年近く前(1779年)から頻繁に「異国船」が通商要求の為に姿を現していた。

ペリー来航の翌年(1854年)、日米和親条約が調印され幕府の鎖国政策は終了、4年後の1858(安政5)年には、在日総領事のハリスに恫喝されて、日米修好通商条約なる不平等条約を押し付けられ、イギリス・フランス・ロシア・オランダからも同様の条約を結ばされた。(安政の五か国条約)

北米で先住民から土地を収奪したのと同じ本能によって、白人自作の「国際法」に基づいた条約によって完成を見たのであったが、周囲を海に囲まれているという固有の立地条件とアメリカ国内の内戦(南北戦争)により、アメリカ人たちの領土拡張の野望はひと休みとなり、日本に対しては先送りとなった。

我が国にとってのこの幸運が重なり合わなかったとすれば、日本民族はアメリカ先住民と同じように、ジェノサイトによって人口も1/10以下ほどまでに粛清され尽くし、51番目の星として存続しながら、今は「保留地(Japanese reservations)」に押しやられていたのかも知れない。

その後、不平等条約(関税自主権・治外法権)の撤廃に向けて半世紀近くもの間、血の滲むような努力が払われたのだが、この頃の白人の日本人に対する傲慢さが攘夷思想につながっていったであろうことは、年表に表われることは少なくても、歴史に埋もれた紛れもない事実である。

白人(=アメリカ人、=アングロサクソン)の有色人種に対する人種差別は、修正や治療の及ばない宿痾であり、これからも変わることはないだろう。

アメリカの領土拡張主義は、ペリー来航以前の1845年の「リメンバーアラモの砦」によってメキシコからテキサス・ニューメキシコ・アリゾナ・カリフォルニアなどメキシコ領の半分にあたる広大な土地を奪うことに成功していた。

1890年のフロンティア消滅宣言後は太平洋の島々がそのターゲットとなり、1893年に軍隊を持たないハワイ王国の政庁を奪取して1898年に併合…。

更に同年には、お得意の戦争を正当化する「リメンバー・メーン事件」をデッチ挙げてスペインに宣戦布告し、パリ条約を経てキューバ・プエルトリコ・グアム・ミッドウェー・ウェーク・フィリピンの割譲に成功した。

殊にフィリピンでは、スペイン撤退後の独立を約束していたにも拘わらず反故にし、その上騙されたと知って反抗する革命家たちに残虐の限りを尽くして虐殺した、と言われている。

その数60万人と云われ、1943年の独立宣言までの間、半世紀近くも植民地支配に甘んじなければならなかった。

正しく、アングロサクソンの領土拡張主義は、ブリテン島を侵略して以来絶え間なく続けられたお家芸の強奪行為と云わねばならない。

それらのことを日本民族が一切知る由もなかった筈はなく、近衛文麿公に「強盗・掠奪をあえてしながら、常に道徳的口実を失わず、自由と独立を宣伝しながら、植民地の名のもとに世界の半分を独占している」と論破(「英米本位の白人主義を排す」:1918年11月)され、明治以降の富国強兵・殖産興業にもつながっていた。

反面、このことでむしろ近代日本の背骨が成形される一因ともなった。

朝鮮の独立支援戦争とも云うべき「日清戦争」(下関条約)、ロシアの満州及び大韓民国での兵力増強・軍事拠点化を回避するための「日露戦争」(ポーツマス条約)に勝利するも、白人による全世界のアパルトヘイト化を挫折させた事実は、同時に日本に対する警戒心と排日政策を助長し、内政干渉を恒久的なものにする大きな一因となり、大東亜戦争の遠因となったことは否めない。

ポーツマス条約締結(1905年)の翌年には、アメリカは排日政策を策定し、対日戦争シミュレーションである「オレンジ計画」の内容は歳月を伴ってエスカレートしていった。

白船事件(1908年)は、発端となった「黒船」以来抱き続けてきた侵略方針の再表明であり、日米開戦の端緒と考えられ、大東亜戦争(1941年~)の宣戦布告の遠因であったとすれば過大解釈になるだろうか?

この事件以降にアメリカが日本に対して行った、排日及び内政干渉とも云うべき出来事を列挙してみよう。

明治42年(1909年)  満州鉄道中立化提案

大正2年(1913年)  第一次排日土地法

大正3年(1914年)  パナマ運河開通、(第一次世界大戦)

大正4年(1915年)  ブライアン不承認主義

大正6年(1917年)  石井・ランシング協定、(ロシア革命)

大正7年(1918年)  シベリア出兵

大正9年(1920年)  第二次排日土地法、(尼港事件)

大正10年(1921年)  ワシントン会議

大正11年(1922年)  日英同盟解消、帰化権剥奪【アメリカ最高裁】

大正13年(1924年)  絶対的排日移民法、「オレンジ計画」確定

昭和4年(1929年)  世界大恐慌、(田中上奏文)

昭和7年(1932年)  スティムソン・ドクトリン発出

昭和10年(1935年)  中立法制定

昭和11年(1936年)  大海軍計画

昭和12年(1937年)  中道政策(コーデル・ハル)

隔離演説(F・D・ルーズベルト)

昭和13年(1938年)  対日共同作戦検討、対日抗議、新中立法成立

           対日経済制裁検討開始

昭和14年(1939年)  日米通商修好航海条約破棄通告

昭和15年(1940年)  汪兆銘政権樹立非難、日華基本条約否認声明

           (支那にフライイングタイガース義勇兵投入)

昭和16年(1941年)  ABCD包囲網、ハル「四原則」

            日本資産凍結、対日石油禁輸、「大西洋憲章」

            ハル・ノート手交

【以下、「日本が失いかけているもの(その3)」に続く】

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