前稿で、共産主義者がGHQの裏で暗躍していたことは、軽く触れておいたが、一部の者たちが蠢いていただけではなく、英ソの圧力がアメリカ・国務省に掛けられていたという国家規模の背景が存在していた。 その他ならない水先案内人は、1921年4月に創設(承認は、翌1922年)され、ボリシェヴィキ(コミンテルン)のテーゼと支援によって、冷血動物のような目つきで祖国を眺め続けてきた、ソ連共産党に育てられた日本共産党の面々であった。 「共産主義革命」、「暴力革命」、「武装闘争」等々、その都度活動方針やテーゼを改変しながら、あくまでも「自己都合最優先」を貫き続けてきた。 このようにして、新生日本の自主制定憲法は …
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