大東亜戦争終戦前後の数々の惨禍を個別に振り返えってきたが、もう一度大正6年(1817年)にまで戻って再確認しておきたいことがある。 「無名の師」(大義名分のない戦争)と批判されている「シベリア出兵」だが、革命ロシアへの干渉戦争とされているもので、当時(帝国主義を背景とした占領政策がむしろ常識的であった)の政府・軍部は反革命派を支援して、親日の「傀儡政権」を樹立しようとしていた。 大東亜戦争同様、非難に晒されていることの多いシベリア出兵だが、その史的評価が正しく正鵠を射ていると言えるのか、検証してみよう。 ・下関条約(1895年4月)日清戦争の講和条約であり、三国(独・仏・露)干渉により、批 …
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