―支那の抗日(6)― ・大紅門事件(1937年7月13日) 7月7日に北京郊外で勃発した盧溝橋事件で、7月11日に停戦協定が締結されたが、近衛文麿は増派声明を出した。その2日後の7月13日、北京の大紅門で日本軍のトラックが中国軍第38師に爆破され日本兵4名が死亡する事件が起きた。 翌7月14日には、日本軍騎兵1名が惨殺された。 そして、7月18日から20日までの間には日本軍への攻撃も発生した。 その後も中国側の事件が起き、7月28日に日本軍は北京周辺で占領行動を開始。翌日、親日政権(冀東防共自治政府)の一部の保安隊が寝返り、通州事件(次稿「日本の惨禍㉑」)を起こす。 8月8日、日本軍は北部で …
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