-孝明天皇崩御(3)- 前稿で12月25日に孝明天皇は崩御されたと書いたが、「孝明天皇紀」巻二百二十 三十頁には、『益御機嫌能被成為候』(ますます御機嫌がよくなられた)との「御容態書」の記載があり、更に三十五頁には『主上今廿九日辰刻崩御候』(辰刻:午前7時~9時)と記されている。 即ち「孝明天皇紀」では、12月29日に崩御されたことになっており、それまでは日を追って回復されておられた経過が残されているだけで、この曖昧さが疑念の収まらない一因ともなっている。 前々稿で、孝明天皇践祚以来の主な事件を列記しておいた(「安政の大獄」~「徳川慶喜宣下」)が、同年8月30日に起きた「廷臣二十二卿列参 …
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