「花のいのち」が、井伊直弼が大老就任以来僅か22カ月後であったことを前回述べたが、その短かった「わが世の春」の間を主として画策していたことに、孝明天皇の妹君・和宮親子内親王の徳川将軍家への輿入れがあった。 水戸派の推す一橋慶喜を退けて、第十三代家定の継嗣に紀伊藩主徳川慶福(家定)を決定したことに、孝明天皇は幕政改革と慶喜擁立を求める勅書を、憤激と共に幕府と水戸藩に下された。 これに対応するために、井伊直弼は一橋派の大名・朝臣・その家臣らを検挙し、死罪や隠居・落飾など厳罰を以って臨んだが、徳川幕府終焉の遠因であり、この時代の有能な人材を無為に喪った「安政の大獄」(戊午の大獄)であった。 …
この続きは、ロンダンを定期購読頂くことで閲覧が可能です。
価格:月額1100円(税込)
ログインして閲覧する 会員登録して購入する