前回で指摘した明治維新・幕末に対する素朴な疑問に紐解くために、160年を遡って桜田門外の変(安政7年 皇紀2520年 西暦1860年)から始めてみよう。 大老井伊直弼が江戸城の桜田門外で、尊王攘夷派の水戸・薩摩の脱藩浪士ら18名(「桜田十八烈士」)に暗殺された事件で、第13代将軍・徳川家定(安政5年7月6日死去)の後継を巡って南紀派と一橋派が対立し、朝廷の意にも反して当時12歳であった紀州藩主・徳川慶福を推挙したことや、勅許を待たずに日米修好通商条約(神奈川条約)に調印(安政5年6月19日)したことなどに加えて、「戊午の密勅」を発端とした安政の大獄(別名「戊午の大獄」)での非情な強硬策に対 …
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