昭和天皇独白録第二巻より引用する。 「…一番防備の出来てる筈の鹿児島半島の部隊でさへ、対戦車砲がない有様で、兵は毎日塹壕堀りに使役され、満足な訓練は出来て居らぬ有様だった相だ。 之を聞いて私は自分の見透の間違でないことを知った。 当時私の決心は第一に、このまゝでは日本民族は滅びて終ふ、私は赤子を保護する事ができない。 第二には国体護持のことで木戸とも同≪原文は俗字≫意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の餘裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。」 …
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