和・作法の彩り

全日本作法会で20年以上、作法に携わり、企業や大学にてマナー研修を実施している筆者が送る日本の礼儀・作法に関するチャンネル。
一口に礼儀・作法といってもそこに隠されている、込められている日本の心、文化について発信していきます。

日本における婚礼の歴史

 現代は様々な結婚式の形があります。
今回は日本における婚礼の歴史を考えてみたいと思います。

 結婚式の起源は「古事記」のイザナギノミコトとイザナミノミコトが、天御柱を廻って
出会ったところでお互いに愛を告白するという有名なお話にあるそうです。
この有名な話が結婚式の原点と伝えられているのです。
 ちなみに結納の最初は、仁徳天皇が息子の嫁に黒姫を迎える時に、贈り物をしたこととなっています。

 現実の結婚式は奈良時代からのようです。男性が女性宅に3日間通い、3日目に女性側の親が二人を認めると「三日餅(ミカノモチヒ)」をふるまい、家族の一員として迎えました。この慣習は庶民から発生し、やがて貴族社会にも広まります。

 男性が女性宅に通う「妻問婚」は古墳時代には行われていました。自由恋愛でしたが、夫婦は別居です。求婚は男性が女性の家を訪れ、窓や戸口から呼んだり、男性が女性に求婚歌を送り、女性が答歌するという形で「ヨバヒ」と呼ばれていたのです。男性の忍び通いが三日ぐらい経つと女性の家族に明らかになる「露顕(トコアラワシ)」となり、「三日餅」を出します。
こうして、男性は婿と認められます。ただ、子供は母親側で育てられます。

 「妻問婚」は平安時代になると「婿取婚」となり、夫婦は女性宅に同居となっていくのです。露顕、三日餅などの儀式は多様化していきます。
鎌倉時代になると「婿取婚」の形を取りながらも、男性が女性宅で長期間暮らして、男性宅に移り住むという形も出てきます。「婿取婚」から「嫁取婚」になっていくのは自然の流れでしょう。

 現代のような婚礼の儀式は室町時代頃に確立されます。結婚は家と家の結びつきという意味合いが濃くなり、武家社会では政略結婚も当たり前になるのです。花嫁は輿に乗って、婿の家に向かいます。家に着くと、三々九度の元になった、盃に三度酒を注ぐ「式三献」を、白装束姿で二人だけで行います。2日目の夜には婿の家で用意された色ものの衣装に着替え、お色直しを行い、ここで初めて婿の家族と対面することになります。
 安土・桃山時代に来日していたルイス・フロイスは「日本では結婚式は行われない」と残していますが、有力な武家の婚礼は盛大に行われています。また、まだ下級武士だった豊臣秀吉と正妻のねねも、土間に藁を引き、割れたとっくりと盃で祝言を行ったと記録に残っています。

 江戸時代に仲人制度が生まれます。仲人が男女を引き合わせる「見合い」が始まるのです。婚礼は家同士の結びつきという考えがより強くなり、結納も取り交わすようになりました。

 現代のように、挙式と披露宴が組み合わさった結婚式が行われるのは明治時代になってからです。それまでは神や仏の前で夫婦になることを誓う、現代の挙式に当たるような儀式は行っていません。祝言であり、いわば披露宴のみだったのです。
 明治時代に西欧の文明が入ってきてから結婚式も様変わりしました。仏前結婚式は1892年宗教家によって初めて執り行われました。
 1900年大正天皇と九条節子様(後の貞明皇后)の宮中においての神前結婚式が全国に報じられ、その後一般の婚礼儀式として広まり定着したのです。当時は西欧と並ぶためにキリスト教の一夫一婦制を取り入れる必要性があり、容姿端麗より健康で逞しく育てられた「九条の黒姫様」と呼ばれる節子様が皇太子妃に選ばれました。

 西欧においては、宗教的な儀式の要素もあり、古くから教会で神に誓うという形の挙式が慣習化していました。日本は八百万の神様と仏様が存在する文化であり、一神教の西欧とは婚礼に対する考えが違っていたのでしょう。明治時代まではある意味おおらかだったと言えます。また、磯田道史著「江戸備忘録」によると江戸時代の離婚は現代より多かったようです。宇和島藩の残されている正確な記録には藩士の4割が離婚経験者と記されているそうです。再婚者も6割ほど存在して、男性も女性も離婚後すぐに再婚できました。
 一度結婚したら一生添い遂げるという概念は、明治時代後期に確立されたものでしょう。明治31年に「民法」が定められ、女性が結婚前は父親、結婚後は夫に従うことを求められました。また、結婚後は家事、育児のみ許され、女性が働き自立することを良しとはしませんでした。主観ですが、開国後西欧文化、思想が日本を覆ったことに関連しているとは考えすぎでしょうか。中世から教会が結婚を取り仕切っていた西欧では、離婚を許されていませんでしたから。

 開国以前は身分の高い女性はともかくとして、一般的には女性もある意味、現代より自由でおおらかだったと言えるのではないでしょうか。また、日々の生活を共に送るパートナーを、西欧では神に許しを求めるために挙式を行っていましたが、日本では家族や一族、身近な人々に紹介して受け入れてもらう祝言でした。

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