【生年月日】 昭和25(1950)年4月27日(現在71歳) 【学歴】 甲南大学経済学部卒業 報徳学園高等学校卒業
「中ソ分担構造」については前稿で述べたが、これらと切り離すことができない「お国の事情」、言い換えれば明治維新以降の個別要因が芽吹いており、社会の底辺に蔓延りながら、価値観をも覆していった。 即ち、元田永孚の「聖諭記」に東京帝国大学を視察された明治天皇陛下のお言葉として、「…そもそも大学は日本教育高等の学校にして、高等の人材を成就すべき所なり。然るに今の学科にして政治治要の道を講習し得べき人材を求めんと欲するも決して得べからず。仮令、理科医科等の卒業にてその人物を成したりとも、入りて相となるべき者に非ず。当世復古の功臣、内閣に入りて政を執るといえども、永久を保すべからず。之を継ぐの相材を育成せ …
「ローマ帝国時代、ローマ軍は軍事上の必要からローマに通じる道を切り開いた。そして、これがそのままユダヤ人の交易路となった。ユダヤ人はこの交易路に沿って群れをなして、ローマ帝国内に広がり、行った先で小さな居住区を造り、そこに彼らは閉じこもった。これがゲットーである。 こうして、ローマ帝国が最大版図を形成した時代に、彼らの住むゲットーが帝国内の至る所にできた。よくユダヤ人は「非ユダヤ人の偏見の所為で『ゲットーに強制的に住まわされた、閉じ込められた』と主張する。 しかし、これは事実ではない。隔離された場所に住むことを望んだのは、ユダヤ人自身だったのである。彼らは「割礼」や「儀式殺人」のような、忌ま …
昭和7年(1932年)に建国され、昭和20年(1945年)にソ連の軍事侵略で忽然と消滅した「満州国」は、かつて「辛亥革命」(1911年:明治44年)で清朝が滅亡した後、張作霖(1928年の爆殺事件の後は、息子の張学良が)後継者として支配していた。 日露戦争当時は、清国は露清密約を隠蔽していたので、日露戦争は実際には露国・清国の連合軍と日本の戦争であり、清国も敵国であったので、ポーツマス条約(1938年:満洲南部の鉄道及び領地の租借権を獲得できたが、軍事費として投じてきた国家予算4年分にあたる20億円を埋め合わせるための戦争賠償金を獲得することができなかった。)そのため、条約締結直後には、戦時 …
「閉ざされた言語空間」という言葉は、使い古されたフレーズだが、日本民族の宿痾でもあるこの性向は、時代が移っても変わらないのだろうか? 前稿で、「満州国」に関する概要を述べさせて頂いたが、「満州国」って何ですか?というような素朴な疑問・質問には、これまで出会っていない。 「満州国」が亡国となってから、既に78年が経過しているが、78歳未満の人々の記憶には残されていなくとも、知識としては健在であるということだ。 その「満州国」の短命については、前稿をご参照願いたいが、同様に日本国に対しても、共産主義が最大の「戦犯」であったことは、「閉ざされた言語空間」からはみ出してくる呟きや、諸国の様々な資料公 …
「詐誕(さたん)」は「でたらめ」等によって人を騙すことで、天聽を欺罔(ぎもう)( 詐欺的行為で、相手に虚偽のことを信じさせ、錯誤させること。だますことである。「人ヲ欺罔シテ財物ヲ騙取シタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス」〈詐欺に関する刑法第246条第1項の改正前の条文〉現在は「人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する」に書き換えられている。)することでもあり、明治維新こそが、日本国民のみならず天聽をも欺いた歴史であり、日本そのものを崩落させた大きな一因になったと言えるだろう。 先ず、徳富蘇峰翁の近世日本國民史「孝明天皇初期世相篇」から引用してみよう。(原本の旧仮名遣いに準じ、字体は …