前稿(67)の結びで、外圧(特に英国)からの影響が、家茂・孝明天皇の死に大きく係わっていた可能性があると述べたが、日本国内に目を転じた時、外圧のみが因子の一ではあっても、主因では必ずしもなかった。 「徳川幕府の創立者は、外に向かって鎖国の制を励行したるばかりでなく、中に於いては第一武家と公家の交通を杜絶した。此れは固より武家が公家に頼りて、朝廷に接近するを禁止する為であった。乃ち官爵位階の如きも、彼等は直接に朝廷から受くるを得ず、必ず幕府を経由す可きものとした。而して大名相互の結婚、養子なども、一々幕府の允許の下に行われた。されば大名と云ふも、其の権力の及ぶ所は、其の領内の士民に止り、其の自 …
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