これまでに、「日本の惨禍(28)~(32)」で「ヤルタ会談」として取り上げてきたので、重複する部分はお赦し頂くとして、1943年11月末、独ソ戦でのソ連の優位が確立して、ルーズベルト・チャーチル・スターリンの三首脳はイランのテヘランに集った。 英米のフランス上陸作戦の期日が設定され、ソ連が機をみて対日参戦することも決められた。 ソ連の参戦なしには日本を打倒するのは困難であると、ルーズベルトは考えており、勝利するとしても多大な犠牲が伴うとも考えていたからであった。 その条件として、アメリカは莫大な支援物資をソ連極東に供給することを約したのだが、「ソ連共産党はルーズベルトが育てた」との評価があら …
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