―抗日の構図(3)― 支那の抗日を、民族的な特性(24)と折から全世界に吹き荒れた共産主義という暴風雨の爪痕(25)から見てきたが、この稿では違った角度・視点から検証してみたい。 当時、既述の原因を除けば、先ず支那の反日・排日教育を挙げるべきだろう。 支那の小学校教科書は国定教科書ではなく、商務印書館や中華書局等の書店が編纂したものを採用していたので、書店としては売れ行きを良好にするために排日の記事を記載し、論調までもそれに沿って自ずと悔日となり、小学生の頃から反日思想を涵養していた。 大正8年(1919年:第一次世界大戦後のパリ条約-ベルサイユ条約締結の年)の反日初期の頃の小学校教科書を …
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