―尼港事件(2)― 前稿で述べたように、1917年(大正6年)にロシアでは革命(二月革命)が起り、3月12日にはロマノフ王朝が滅亡して、欧露における無政府状態が拡がり、過激派が漸次その勢力を増大していった。 翌年(大正7年)になると革命の中心を担った過激派の跳梁は甚だしく、同年1月日本海軍は在ウラジオストク居留民保護の目的で、第五海軍陸選隊を同地に派遣、英米両国も同じ目的で軍艦を送り、港内に碇泊させた。 英米仏支の各国は、その後若干の兵をシベリアに派遣するようになり、日本も同年8月2日露国の領土安全と内政不干渉を言明して、「チェコスロバキア軍」救出のため出兵を決定した。 ボリシェヴィキ政権 …
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