―維新十傑(7)― ・岩倉具視(公家 雅号:対岳 謹慎中法名は「友山」) 文政8年(1825年)10月26日公卿・堀河康親の次男として京都にて生誕、母は勧修寺経逸(公家)の娘・吉子。 幼名は周丸(かねまる)であったが、容姿や言動に公家らしさがなく異彩を放っていたため、公家の子女達の間では「岩亀(いわかめ)」「守宮(やもり)」の渾名がついた。 天保9年(1838年)8月8日、儒学者・伏原宣(のぶ)明(はる)の仲介により岩倉具慶(ともやす)の養子となり、具視の名を選定されたが、当初は「具瞻(ともみ)」とされたようだが、本人が「ありがたいことですが、書きにくいですな」と、けろりとして言ったとのエ …
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