―維新十傑(4)― ・小松帯刀(薩摩吉利領主 清廉 尚五郎 号:観瀾、香雪齋) 天保6年(1835年)10月14日、鹿児島城下山下町の喜入屋敷にて喜入領主・肝付兼義(5,500石)の三男として育った。(次兄の兼次が満1歳で夭亡した為) 幼少の頃から聡明で、幼名を尚五郎兼(かね)才(とも)といった。 安政2年(1855年)正月、奥御小姓で御近習番勤を拝命、翌年正月(20歳)には吉(よし)利(とし)(日吉町)の領主小松清猷(せいゆう)の養子となり、小松帯刀清廉(せいれん)と改めた。 文久元年(1861年)5月には側役勤に進み、島津久光の藩政改革をたすけ、藩政の中心人物となって大久保利通はじめ有 …
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