水戸天狗党壊滅(元治2年2月4日 352名/828名が処刑) 元治元年3月、筑波山で「攘夷実行」を唱えて挙兵した天狗党ではあったが、幕府は周辺の諸藩に鎮圧を、水戸藩には鎮撫を命じた。 天狗党の恐喝や暴行の苦しめられていた領民の反撃や、幕府追討軍・諸生派(党)との度重なる交戦が行われた。 しかし、天狗党が頼みの綱としていた一橋慶喜は加賀・会津・桑名藩の4,000人の兵を従え討伐に廻ったことを知り、加賀藩に投降して武装解除した。 追討軍総括に任命されていた相良藩主田沼意尊(若年寄)は、加賀藩から引き渡しを受けると鰊倉(鰊粕の貯蔵倉)に押し込んだ上、2月4日から23日にかけて352名を斬首 …
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