能楽の演目に「千手」(せんじゅ:「千手の前」)というのがある。 平重衡の無念を描いたもので、文隆氏の悲憤とはその成り立ちも因果も異なるが、「〽…目もあてられぬ気色かな」に思いは重なる。 「縲絏(るいせつ)の責」「雁書」「槿花一日の栄」等々に共通する憂憤は申すまでもなく、「〽…四面に楚歌の聲の中 何とか返す舞の袖。思ひの色にや出でぬらん涙を添へて廻らすも。雪乃古枝の枯れてだに花咲く千手の袖ならば。重ねていざや返さん 忘れめや」との謡に、文隆氏の怨念さえ垣間見える。 さらに、重衡の妻・輔子が遺骸を引き取り高野山に葬って日野に墓を建てたことは、文隆氏の妻・正子がソ連まで乗り込んで遺骨を持ち帰り …
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