剛強壮健な文隆氏が僅かひと月の間に死に至らなければいけなかった原因が特定できないのは、ソ連の策謀と杜撰な管理の所為で、残念ながら憶測の域は出ない。 抑留中の死者の数でさえ発表した国家機関にも確信が持てないどころか自ら改竄・捏造していたのだから、確かな証拠など望むべくもない。 それでも、文隆氏の名誉回復のために奔走したロシア人、V・A・アルハンゲリスキーの弾劾の労作「プリンス近衛殺人事件」などの数少ないノンフィクションに基づいて、慎重にそして丹念に振り返ってみたい。 文隆氏の体調に異変が現れたのは昭和31年で、それも日ソ交渉に目鼻が付き始めた頃から顕著になったとされているが、本人が「大痔 …
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