昭和20年8月23日、クレムリンでは「日本軍捕虜五十万人受け入れ収容、労働利用に関する決議」が、ソ連の国家国防委員会で行われたが、8月9日の侵攻から僅か二週間後にこのような決議が、何故これほど迅速に行うことができたのかという素朴な疑問が沸いてくる。 そして、「五十万人」という数字の根拠は何処にあり、どのようにはじき出したのかとの疑いも拭い切れず、むしろ丹念に、そして誰にも知られないように進めていた合意事項ではなかったかとの憶測を禁じられない。 同日、スターリンがワシレフスキー元帥に与えた指令では、「極東、シベリアの環境下での労働に適した日本軍捕虜50万人を選別せよ」というものであった。 (その …
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