嵐の大海への船出となった第一次近衛内閣だったが、「暴支膺懲」発言を出さなければならないほど盧溝橋事件や通州事件(その3にて既述)以降の大陸での治安は悪化し、その対策として居留民保護の観点から国民の精神高揚を鼓舞するスローガンともなっていった。 「暴虐な支那を懲らしめよ」【暴戻(ぼうれい)支那ヲ膺懲(ようちょう)ス】という意味で、後に対米英への「鬼畜米英」と結びついて、「鬼畜米英、暴支膺懲」となり、戦闘精神を増幅させたことは戦後生まれでも理解できる。 昭和13年1月16日には有名な「国民政府を対手とせず」(近衛第一次)声明が出され、対支政策は混迷を一層深めていった。 昭和15年になりフランスの敗 …
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