そして、1941年8月ニューファンドランド沖での大西洋会談では、『たとえアメリカが攻撃されない場合でも、極東においてアメリカは参戦すると約束してくれた』(1942年1月27日チャーチル談)とイギリスの権益を守り、日本に襲いかかる決断は済まされていたのです。 ハミルトン・フィッシュ氏(非干渉主義を貫いた、共和党の重鎮)によれば、『FDRは議会と国民の意思を無視し、非アメリカ的・非民主的で合衆国の憲法の精神に背くものであった』と厳しく批判し、「屈辱の日」演説は『戦争を始めたかったFDR政権の陰謀である』とまで断じています。 大東亜戦争のことを、『日本が仕掛けた無謀な戦争』と表現する人がいます …
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