前回の最後に列挙させて頂いたアメリカの弛まざる努力、言い換えれば排日と内政干渉によって、日本民族が「鬼畜米英」というスローガンを確立したことは、当時を生きていない私にも容易に想像ができる。 「ABCD包囲網」や「対日石油禁輸」、ハル・ノート手交がF・D・ルーズベルトにとって単なる仕上げでしかなかったことは、年表を丹念に振り返れば明白だし、今や定説ともなっている。 もちろん、これら一連の対日政策の延長線上に「東京裁判」があり、厄介なことに昭和27年4月28日まで及んだ「占領の置き土産」は現在に至っても健在であり、あろうことか後生大事にGHQのプログラムを守り続け、「鬼畜米英」に迎合し続けることが …
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