日本は、八百万の神様の国です。自然界のありとあらゆるところに神様は、存在します。そして、それらの神様は、いろんな形で人間と関わっています。
風の神様は、船が進むのに都合の良い風を与えてくれます。でも、時には、台風を生み出して、大きな被害をもたらします。
水の神様は、人間も含む生物にとって重要な水を与えてくれます。でも、時には、水害を巻き起こして、たくさんの命を奪います。
陽の神様は、たくさんの穀物が育つエネルギーを与えてくれます。でも、時には、日照りを起こして、たくさんの生き物を死においやります。
神様は、私たちに大きな糧を与えてくれますが、ひとたび怒りだすと私たちの同胞がたくさん亡くなったりします。私たちのとって、良い神様であるときもあれば、悪い神様になるときもあるのです。
また、禍を起こす神様がいます。八十禍津日神(やそまがつひのかみ)です。また、凶事を引き起こす神もいます。大禍津日神(おおまがつひのかみ)です。
日本の国生みをした伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、死者の国である黄泉の国で穢れを背負ってきて、それを落とすために川で禊をした時に生まれた神様です。
禍や凶事を引き起こす悪い神様がいるのです。でも、凶事を吉事に変える神様も続けて生まれてきました。神直毘神(かみなおびのかみ)と大直毘神(おおなおびのかみ)です。
禍も凶事も人間にとってどうかということです。それは、吉事も同じです。神様としては、良いも悪いもなく、そこにおられる、在るだけなのです。
その神様のなされることを良いことと受け取るか、悪いことと受け取るかは、受け取る人間次第なのです。
ある人間にとって良いことでも、別の人間にとっては、悪いことかもしれません。また、人間にとっては悪いことでも、他の動物にとっては良いことかもしれません。
生物にとっては悪いことでも、地球にとっては良いことかもしれないのです。すべて、受け取り方なのです。神さまの行いは、人知では計り知れないものです。
人間がどうすることもできないことが多いのです。だから、昔の人は、神様を怒らさないように、鎮まってもらうように祀り、祈ったのです。
人間社会でも同じことが言われます。出来事に意味はない。あるのは、その出来事を自分がどう意味づけるのかということ。
昨年からのコロナ禍の中、人間の知恵では、何ともならない部分も出てきています。
その状況を自分の中で、悲劇ととるのか、何かの示唆ととるのか、どちらを取るかで、コロナ禍が過ぎた後の、生き方が変わってくるようにも思います。