お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

経験から学んだ籠城戦を生きぬく工夫

戦国時代の武将が苦しんだ、朝鮮半島での籠城戦を知っていますか? それは、築城の名手として名高い加藤清正が、蔚山城(うるさんじょう)で経験した過酷な籠城戦です。韓国には現在でも、戦国武将たちが築いた日本式の石垣の城がいくつも残されています。それらの城を総称して「倭城(わじょう)」と言います。 倭城は、文禄元年(1593)から慶長3年(1598)の、豊臣秀吉が朝鮮進出を企てた「文禄・慶長の役」の戦いの中で築かれました。拠点である佐賀県の名護屋城(なごやじょう)から出陣した全国の有力武将たちは、26もの倭城を築きながら朝鮮半島を進軍して行きます。 そんな中での出来事が、慶長2年(1597)の「蔚山城 …

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