お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史38】なぜこの時期に?大阪城天下普請の前夜

前回の記事「【城の歴史37】徳川幕府総決算の城・大阪城」では、徳川幕府の盤石な体制づくりの総決算として築かれた、大阪城の天下普請についてご紹介しました。この天下普請は、徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣から5年後の、元和6年(1620)3月から始まります。幕府にとって大阪城が西国支配の最重要拠点だったために時間が必要だったのかもしれませんが、なぜ夏の陣の直後に工事を始めなかったのでしょうか。なぜ5年後のこの時期に大阪城の再築工事を開始したのでしょうか。 疑問に思った私は、文献や書物を当たり検証を重ねました。調べてみると、夏の陣後の元和元年(1615)と元和3年(1617)、元和5年(1619 …

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