お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史37】徳川幕府総決算の城・大阪城

天下普請によって、包囲網ともいえる複数の城を大阪城周辺に築いた徳川家康は、ついに慶長20年(1615)5月の大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしました。その直後から家康は様々な改革を行い、徳川幕府の礎となる体制の整備を開始します。 「一国一城令」によって、全国の3,000に及ぶ城郭は170城ほどに縮小・整理され、「武家諸法度」、「禁中並公家諸法度」、「諸宗寺院法度」によって、武家だけでなく天皇や公家、寺院までも幕府の統制下に置く法令を定めたのです。幕府のその後の道筋を示した家康は、大坂夏の陣の翌年(元和2年(1616))に、75歳の長寿を全うして亡くなりました。 家康の志を引き継いだ2代将軍・徳川秀忠は …

この続きは、ロンダンを定期購読頂くことで閲覧が可能です。

価格:月額1100円(税込)

ログインして閲覧する

お城カタリストの城語り 
過去記事一覧

テキストのコピーはできません。