お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史34】朝鮮半島に築かれた日本式の城・倭城

足軽から天下人となり、関白・太閤にまで登り詰めた豊臣秀吉はその晩年、明(中国)の征服を企て、その足掛かりとして朝鮮を服属させるべく朝鮮半島へ出兵します。文禄元年(1592)から秀吉が亡くなる慶長3年(1598)までの期間に2回に渡り行われた「文禄・慶長の役」です。途中、一時休戦の期間を挟むものの、足掛け6年間におよぶ空前の海外派兵を行いました。 秀吉は、現在の佐賀県唐津市に100を超える全国の大名家を招集させ、朝鮮出兵のための本拠地「名護屋城(なごやじょう)」を築きました。(名護屋城について詳しくは、過去記事「石垣づくりの城を全国に広めた秀吉の朝鮮出兵」をご覧ください。)大阪城に次ぐ大城郭の周 …

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