お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史33】秀吉と京都の深い関係

天正13年(1585)に関白に就任した豊臣秀吉は、政治と住まいの拠点を京都に移すべく、京の都に新たな城を築きます。「聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)」です。聚楽第があったのは、現在の京都御苑の西方、かつての平安京があった大内裏の跡地です。いまでは中立売通り沿いに聚楽第址の石碑や東西の濠跡を示す石碑が残るだけですが、確かにこの場所に豪華壮大な聚楽第があったのです。2012年には本丸の南濠跡において東西約32mに及ぶ石垣が発掘されています。 都において豊臣政権の絶大な権力を誇示するために築かれた聚楽第は、東西約600メートル・南北約700メートルに及ぶ壮大な邸宅でした。秀吉の甥・豊臣秀次が謀反 …

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